
2026年9月26日、ベトナム国立産婦人科病院(ハノイ)が、重症の先天性横隔膜ヘルニア(CDH)の胎児に対して、FETO(Fetoscopic Endoluminal Tracheal Occlusion:胎児鏡下気管閉塞術)をベトナムで初めて成功させました。ベトナムの胎児医療にとって、大きな一歩となる出来事です。
この治療で注目すべきなのは、母親のおなかの中にいる赤ちゃんの気管に、ごく細い内視鏡で到達できるという技術面だけではありません。FETOの本当の目的は、圧迫されて育ちにくくなっている肺に、生まれる前にもう一度成長のチャンスを与えることにあります。
では、なぜ横隔膜の病気なのに「気管」を治療するのでしょうか。この記事では、先天性横隔膜ヘルニアという病気とFETOの仕組み、効果とリスク、日本での実績をわかりやすく解説します。
先天性横隔膜ヘルニア(Congenital Diaphragmatic Hernia:CDH)は、胎児の横隔膜の一部が欠損している病気です。横隔膜は本来、胸とおなかを仕切る筋肉の膜です。ここに穴があると、胃や腸、脾臓、ときには肝臓の一部まで、おなかの臓器が胸の中に入り込んでしまいます。
胎児の肺は、成長するために胸の中のスペースを必要とします。そこにおなかの臓器が入り込むと肺が圧迫され、十分に育たない「肺低形成」が起こります。重症の場合、生まれた後に肺が小さすぎて呼吸を担えず、肺高血圧や呼吸不全、循環不全のリスクも高くなります。これが、重症CDHの予後が厳しいとされる大きな理由です。
出生後の手術で、臓器をおなかに戻して横隔膜の穴を閉じることはできます。しかし、手術で横隔膜は治せても、強く低形成になった肺をすぐに正常な大きさにすることはできません。そこで一部の重症例では、赤ちゃんがまだ子宮の中にいて、肺に成長する時間が残っているうちに治療する方法が考えられました。それがFETOです。
肺が小さいのに気管をふさぐ、というのは一見矛盾しているように思えます。ポイントは、おなかの中の赤ちゃんはまだ肺で空気を吸っていないということです。
胎児期の肺は「胎児肺水(肺液)」という液体をつくり続けていて、通常この液体は気管を通って外に出ていきます。FETOはこの仕組みを利用した治療です。
バルーンは永久に置いておくものではありません。赤ちゃんの気道を再び開通させるため、出生前の適切な時期、または専門的な準備を整えた状況で取り出す必要があります。
CDHと診断されたら必ずFETOを行う、というわけではありません。医師は、肺低形成の程度、ヘルニアが左右どちら側か、肝臓の位置、合併する奇形、妊娠週数、予後などを総合的に評価します。
肺の発育を評価する重要な指標の一つが、o/e LHR(observed/expected lung-to-head ratio)です。実際に測った肺の大きさを、その週数で予想される大きさと比べた数値です。日本で報告された症例では、o/e LHRが25%未満の重症左CDHの胎児に対し、妊娠27週0日〜29週6日の間にFETOが行われています。
つまりFETOは、ハイリスクの症例を厳しく選んで行う治療であり、すべてのCDHに行う標準治療ではありません。
2021年に医学誌『The New England Journal of Medicine』で発表された国際共同研究「TOTAL試験」は、FETOの効果を示す重要なエビデンスとなりました。重症の孤立性左CDHの胎児では、NICUを退院するまで生存した割合が、FETOを受けたグループで40%、通常の管理・治療のグループで15%でした。生後6か月時点の生存率も同じく40%対15%でした。
一方で、FETOにはリスクもあります。母親のおなかと子宮を通して器具を入れるため、前期破水や早産のリスクが高まります。出血や常位胎盤早期剥離など、母体の合併症が起こることもあります。そのため、胎児医療、産科、麻酔科、新生児科、集中治療、小児外科の体制が整った施設でしか行うことができません。
大切なのは、どんな場合でもFETOを行うことではありません。「治療によるリスクは、肺が育たないまま生まれることのリスクより小さいか」という難しい問いに向き合い、赤ちゃんにとっての利益が上回ると判断された場合にのみ、FETOが検討されます。
日本では2014年からFETOの研究が始まりました。2014〜2016年の初期安全性試験では11例が登録され、全例で安全にFETOが実施され、生存率は45%と報告されています。その後、日本は国際共同研究のTOTAL試験にも参加し、治療効果の評価に貢献しました。
2026年1月には、国立成育医療研究センターが10年間の追跡結果を公表しました。2014〜2023年に、重症または中等症のCDHの胎児25例にFETOを実施し、そのうち10例(40%)が生後6か月まで生存しています。
この25例は、同センターで実施された症例数です。胎児医療が進んだ日本でも、FETOは厳しく選ばれた患者さんにのみ行われ、高度な専門性を必要とする特別な治療であることがわかります。
手技だけを見れば、胎児の気管に小さなバルーンを入れる処置です。しかし、その背景には医療体制全体の力があります。
器具を入れる前に、出生前に病気を見つけ、ヘルニアの程度を正確に診断し、肺の発育と予後を評価し、治療すべき症例を選び、母子両方への対応を準備しなければなりません。バルーンを置いた後も、妊娠経過の慎重な観察、適切な時期でのバルーン抜去、早産リスクの管理、高度な新生児蘇生ができる施設での分娩準備が続きます。そして生まれた後も、呼吸と循環の治療を経て、横隔膜の修復手術へと進みます。
2026年9月26日の意義は、ベトナムが難しい技術を一つ実現したことだけではありません。出生前治療に対する考え方そのものが、一歩前に進んだことを示しています。
日本の胎児医療の歴史を振り返る文献には、「Fetus as a patient(胎児も一人の患者である)」という言葉があります。この考え方は、子宮の中で病気を正確に診断し、適切な症例では障害が取り返しのつかなくなる前に治療できる医療があって、初めて実現します。
FETOは、治療を受けたすべての赤ちゃんの命を保証するものではありません。重症CDHの治療がそこで終わるわけでもありません。それでも、生まれる日までに十分に育つことができない肺に、成長するための時間をもう少し与えようとする。そこに、この治療のいちばんの価値があるのかもしれません。
いつかこの赤ちゃんが無事に生まれ、自分の肺で最初の呼吸ができる日が来ることを、心から願っています。
「胎児鏡下気管閉塞術」または「胎児鏡下バルーン気管閉塞術」と呼ばれます。胎児鏡を使って胎児の気管にバルーンを置き、肺の成長を促す治療です。
日本で報告された症例では、妊娠27週0日〜29週6日の間に行われています。実施の可否や時期は、肺の発育や合併症などを評価したうえで、専門施設の医師が判断します。
いいえ。FETOの対象は、o/e LHRなどの指標から肺低形成が重いと判断された一部の症例に限られます。多くの場合は、出生後の集中治療と手術で治療を行います。
前期破水や早産のリスクが高まるほか、出血や常位胎盤早期剥離など、母体の合併症が起こる可能性があります。治療の利益とリスクを、医師と十分に話し合うことが大切です。
妊婦健診で胎児の病気の可能性を告げられたとき、日本語での説明を正しく理解できないことは、ご本人やご家族にとって大きな不安になります。検査結果の意味や治療の選択肢、リスクについて、納得できるまで医師と話し合うことが大切です。
HICOでは、ベトナム語の医療通訳者が健診や専門外来の受診に同行し、医師とのやりとりを母語でサポートします。通訳料金や予約方法はHICOアプリでご確認いただけます。ベトナム人の患者さんを受け入れる医療機関の方も、ぜひご活用ください。